「過去に囚われている」と「今、現在に焦点を合わせる」そのギャップを超えたモノとは?

兵庫県川西市&宝塚市のカウンセリング☆メンタルケア&サポートやさしい光 ~転職、人間関係、パニック障害、うつ病、発達障害の悩み、苦しみを解消し、幸せを見つけ、リラックスできるヒントを全力でサポート!~

転職を10回して、人間関係、ノルマに苦しみ、悩んだ末、発症した、うつ病&パニック障害、 会社や周囲の人のせいにしたり、自分を責めたりしました。 自分に合った企業へ転職したいのに、なぜかさらに厳しいブラック企業に入ってしまうのです。 私と同じように悩んだり、困っている方へ少しでもお役に立ちたいという真剣な想いから、 心機一転し、新たにカウンセリング・サービスを立ちあげました。

前回のブログで、東京での私の不動産処理について

兄妹の話し合いをする前に、

メンターとのセッションで、私が妹夫婦に対して

「気になる」とは既に「巻き込まれていた」状況で、

彼らを意識してエネルギーを注いでいたことに気づいた、

と書きました。


実は、そのセッションの中で、

さらに重要なことに気づいていたのです。

それは私が"今"という状況を

おろそかにしていたということでした。


本題に入る前に、今回の記事も私の個人的な思考、

価値観から出てきた表現であって、

決して身内を誹謗中傷するものではない、

ということを予め言っておきます。


まだ先の予定、つまり未来の兄妹の話し合いに対して、

私はひとり勝手に妄想をふくらませ、

シミュレーションした挙句の果てに、

不安と恐怖を抱えてしまったのです。


それが客観視できたことにより、

"今というその時、その瞬間"

意識の焦点を合わせることを

忘れていたのに気づけたのでした。


それに気づけたことは大きかったです。

これがキッカケとなり、当日の話し合いの後半で、

今後の方向性を示す"決定打"となりました。


これは実際に話し合いの場に居り、

生の状況を確認できたから言えることなのですが、

その場を何とかしようと、妹夫婦に対して反撃しかけたり、

また逃げようとしたりするつもりも全くありませんでした。


話し合いをしているうちに冷静になって

わかってきたことがありました。


それは、


妹夫婦は「過去に囚われている」


私は「今、現在に焦点を合わせる」


この違い、ギャップがハッキリとわかりました。


普通なら、このような状況では、お互いの論点が全く異なり、

話し合いは平行線となり、折り合いがつかない、

と思われました。


ところが、これからどうするのか、

という岐路に立たされた時、

話し合いを再構築するにあたり、

私はその前提となる話をしました。


その話した概念を、ひと言で言うなら、

第3の選択「調和」でした。

つまり、これからは兄妹それぞれが

はじめから仕切り直すにあたり、

関係改善の努力をして、

お互いに話ができるようにする、

という提案でした。


より簡単に言えば、兄妹同士がいがみ合っても、

何の得(徳)にもならないから、

"仲直りというか、まとまって行こう"

ということです。


これまでもめたもともと原因は、私達兄妹それぞれの

コミュニケーション不足や価値観、固定観念の違いが、

お互いに"不信感や妄想を生み出してきた"わけです。


それらはすべて心でつくった幻想に過ぎず、

最初から兄妹同士が不仲でお互いに傷つけ合う目的など、

どこにも存在していなかったわけです。


そのことに私が先に気づいただけのことなのです。

そして話し合いをやり直すにあたり、

「調和」というのを言葉に出しませんでした。

誰の目にも見えない、そして形として存在しない、

"愛"や"光"で満たされているエネルギーで、

その場に居る人達を包み込む

そんなイメージを持ち続けていました。


"このイメージを胸に、場の雰囲気を感じ取りながら、

その時しか出てこない最適な言葉"で表現したように

記憶しております。


最後に私がこの度の一連の経験を通して、

最も大きかった収穫が1つあります。


それは決して無責任でいい加減な対応と

誤解して欲しくないのてすが、

私はこの話し合いをするにあたり、

事前にほとんど準備しておりませんでした。


妹夫婦がどのような施策を講じてくるのか予測できない、

という考えもありましたが、

一方では考えても切りがない、時間のムダとの

認識もありました。


私は後者の方を選択しました。

その代わりに、

"大いなる存在にすべてを委ねる、託す"

という判断をしました。


そこに至ることで、

それまで抱えていた不安や恐怖は消えて、

"平安、調和、愛"へと代わりました。


極論を言えば、成功しようが失敗しようが

そんなのは人間の限られた狭い視点から

判断することであって、"どうでもいいこと"なのです。


そしてどうような結果が出ようとも、

私はそれをすべて受け容れる覚悟をしておりました。


それが当日の兄妹の話し合いの場で

展開された事象だったようです。


この経験は私にとって、

"大いなる存在にすべてを委ねる、託す"

それが初めてできたことが生涯忘れることのできない

大きな収穫だったのです。


私自身は今も無宗教で、

神や仏を敬うという信心深さとは、

無縁とさえ思っておりました。


そんな私でさえ、今回の物事の運び方が

自分だけの力ではなく、お神輿に担がれた感覚で

進んでいったその感覚が、とても人間のなせる事ではない、

との思いがしっかり心に刻まれました。

「"大いなる存在"とは、"神"と言い換えても

いいのではないか」

そう思わずにはいられない今の私です。


ここから追記となります。


今回の記事は、妹夫婦が

「過去に囚われている」ということでした。


以前の私自身もそうでしたし、それに"気づかず"

普段の日常生活や仕事をされている方って、

私の身近なところでも結構いらっしゃるように

思います。


中には過去について自らつくった

強固な固定観念によって、思考や行動を縛られ、

手の施しようのない方もおられます。


妹夫婦もそうですが、1度や2度の話をしたから言って、

それによって心を開くとは考えておりません。

おそらく相当の"忍耐"が必要だと感じております。


ここ3回に渡って書いた記事の一連の出来事は、

私達兄妹にとって、それぞれが与えられた課題と向き合う、

"新たなステージの始まり"と考えて受け留めた方が、

私の心の奥底では嬉しく感じているようです。


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