『人のために己を役立てる』視点を変えると、さらに新たな発見ができる!

兵庫県川西市&宝塚市のカウンセリング☆メンタルケア&サポートやさしい光 ~転職、人間関係、パニック障害、うつ病、発達障害の悩み、苦しみを解消し、幸せを見つけ、リラックスできるヒントを全力でサポート!~

転職を10回して、人間関係、ノルマに苦しみ、悩んだ末、発症した、うつ病&パニック障害、 会社や周囲の人のせいにしたり、自分を責めたりしました。 自分に合った企業へ転職したいのに、なぜかさらに厳しいブラック企業に入ってしまうのです。 私と同じように悩んだり、困っている方へ少しでもお役に立ちたいという真剣な想いから、 心機一転し、新たにカウンセリング・サービスを立ちあげました。

前回のブログで、マータ・アムリターナンダマイ(アンマ)が言われた、

"真の下僕"、そして、黎明の著者、故葦原瑞穂氏が書かれた、"僕(しもべ)"

これらは同じ意味のことを表現しているのは言うまでもありません。


ふたりが残したメッセージを顧みて、私なりに、ある言葉が

思い浮かびました。


ただし、そのベースとなっているのは、やはり、


『人のために己を役立てる』


これです。


そして、その言葉とは、ズバリ『しんがり』です。


『しんがり』は、テレビの時代劇、よく戦国時代のシーンで

出てくるセリフ、「しんがりを務める」というのがあります。


自軍の戦局が劣勢になるなど、やむを得ず後退する時、

最後部で敵軍から自軍を守り、

戦況によっては"盾"となり、その後の勝敗を左右する

重要な戦闘部隊で、武芸・人格に優れた武将が

リーダーとして務める"役割"のことを言います。


古くさい言葉と感じられる方、あるいは全然ご存じでない方、

いろいろだと思いますが、個人的には意味深いものを

感じます。


常に自分や部下が生命の危険にさらされ、

場合によっては"生死をさまよう"という、

究極の状況もあり得るわけです。


ちょっと脇道に外れて恐縮ですが、

"生死をさまよう"で思い出したことがあります。


それは、10年程前にガンで亡くなった

父の入院先で、担当医から言われた最後の選択、

"延命治療"についてです。


私の妹と同席で、担当医の説明を聞きました。


担当医から、

「あとは〇〇と△△という治療法がありますが、

 今の状況からして回復する見込みはほとんどありません。」

と話があった時、


「その治療をするのか、しないのかの決断」

迫られたことがありました。


確かその時、父は昏睡状態に入る一歩手前の

寝たきりで、わずかに意識があった状態だった

ように記憶しています。


時間的に猶予はなく、私達は、

「それらの治療法をしない」

という選択をしました。


その後、父がそのことを知った時の

"絶望感の漂った表情"

今でも私の脳裏に焼きついて忘れられません。


私は、何度となく後悔の念が湧きかけましたが、

その度に振り切っていました。


この経験を通してわかったのは、

"人の生死に関わる重い度判断を下したことに対して、

振り向かない"、という

『強い覚悟』が必要と学んだことでした。


私だけではないと思いますが、

何らかのキッカケで振り向いてしまうと、

人間ですから、情が出てしまい、次に決まって

後悔の念が出てきてしまいます。


話を元に戻します。

つまり、この『しんがり』"真の下僕"、"僕(しもべ)"

私の場合、イメージ的に重なるのです。


格好のいい解釈と受け取られるかもしれませんが、

どちらかと言えば『しんがり』の方がしっくりきます。


とは言え、現代社会において、"戦国時代の武将"は

存在しませんので、それを置き換えて言うならば、

"同じようなマインドを持ったリーダー、指導者"

となるでしょう。


私自身、もし"今、それをやれ"、

と誰かに言われたとしても、

無責任なことと思われるかもしれませんが、

実際そのような状況に、自分の身を投じてみないと、

"わからない、判断できない"

というのが、正直な答えです。


しかし、"その時"がいつ来るかわかりませんので、

"心積り"だけでも持っていたい、と思っています。


ちなみに余談となりますが、『しんがり』を漢字で表記すると

『殿』ということが、ウィキペディアには記載されていました。

これもまた興味深いことだと感じ入りました。


見方によっては、ここまで書いたことは、

「すべて"男の世界"のことを言っている」、

と女性の方々から、ご指摘を受けるかもしれません。


あくまでも一例としてあげたまでで、

自分の人生で、重大な判断を下さなければならない状況と

向き合った時は、男女の違いや能力的な優劣、

過去の歴史的な背景と言った、

そのような観念や信念は"無に等しい"と思っています。


一番大事なことは

「"その時"が来たら、自分なら、どうするか」

それだけです。


ところで"その時"とは何のこと?

と思われるかもしれません。

これについては、宇宙的規模の壮大なスケールの話

となりますので、また別の機会に触れたいと思います。


1つだけ前もって言っておきますと、

決して不安を仰いだり、ネガティブな気持ちにさせる

ものではありません。



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