カルマ・ヨガ

実践的人生の道としてのカルマヨガ

ババジは、よく私達に実践的な人間であることを望み、カルマヨガがいかに実際的であるかを話した。

「いかなる物質的欲望を持ったとしてもカルマヨガでかなえられる・・・・・・

カルマヨガは至高のヨガである。ラーマ神もクリシュナ神もこれを教えた。

教えただけではなく、実践して成功をおさめた・・・・・・

カルマヨガは即時に結果を与える唯一の種類のヨガである。

何ごとであろうと朝したことは、目の前にある絵のように、夜にはその結果を見ることができる。

朝まいた種は、夜には芽を出す。農夫は半年後に彼のカルマヨガの結果を収穫する。

すべての人はカルマを自然に行なっている。それなしには誰も存続しない。

私達はこれらの行為を他人を益するために、他の人々だけではなく、万物全体のためにしなければならない。

数百万の羊を生み出しても仕方ない。世界を救うには懸命に働く人間が一人いれば十分だ。

私達は皆、懸命に働かなければならない。次の世代にもそう教えなさい。

他の形のヨガは、カルマヨガの副次的なものにすぎない。

なぜなら、全世界はカルマによって維持されているからだ。だからカルマヨガ実践して進歩しなさい。

現在、世界の人々は非常に臆病になっている。だから私達は勇敢で冒険心に富んでいなければいけないのだ」

「もし善い行いに従事し、善い行為を続けるならば、よく寝られるし、食欲も湧くだろう。

そして悪い想念が心を横切らなくなるだろう。無為の中では、心は常にお互いを批判的に考える。

カルマ、活動こそがすべての邪悪を追い出す唯一のものだ」


                       (ババジ伝 ラデシャム著 はんだまり 向後嘉和訳 P221 上段L3~下段L12)

 誰でも自分の周囲を見渡してみると、自分にとっては日常的な、しかし少しずつ変化している環境があります。

それは平凡なものかもであるかも知れませんし、波乱に満ちたものであるか知れませんが、現に今、

その場所とその仕事、そして人間関係の中に自分が存在しているという事実は、魂が自分の進化のために

設定した課題を学ぶために、最も相応しい環境を現象化しているのだということを理解して頂きたいと

思います。

つまりその人の進化にとっての最短距離は、自分の周囲に起こってくる出来事のひとつひとつを

きちんとやってていくことに在るのであって、他に何か特別なものを探したからといって、

近道ができるわけではないのです。

きちんとやるということは、ひとつひとつの表現を心をこめて丁寧に、しかも確実に為していくということで、

別の言い方をすれば、心に想い、言葉によって語り、身体をもって行うことの一切が神の愛の表現に成っている

という意味になります。

普遍意識は完全なる調和で在る神の愛そのものですから、愛の表現は普遍意識の展開に成るわけです。


                                     (黎明 新版 下巻 葦原瑞穂著 P149 L3~12)

神の愛を表現する機会は、日常生活のほんの些細なことの中にさえあります。

ある修道院で、若いシスターが食事の準備のためにテーブルの上に食器を並べていると、

先輩のシスターが「今、何を考えていましたか」と尋ねました。

若いシスターは別に何も考えていなかったので、正直に答えると、

先輩は「食器を置く時には『これを使って食事をする人が幸せになりますように』という想いを込めて、

ひとつひとつおくのですよ」と教えました。

心の中で創られたエネルギーが必ず結果を生み出すという法則を理解していれば、

私達にとってあらゆる瞬間が奉仕の機会になるわけで、普段街の中を歩いているときでさえ、

すれ違う人達の中で疲れていたり、不機嫌だったりする人に祝福の念を贈って、

その人の心と身体の調和を取り戻す手伝いをすることができるのです。


                                   (黎明 新版 下巻 葦原瑞穂著 P192 L5~12)