メンタルケア&サポートやさしい光《目の前の「人」「事」「物」すべてに真実が在る》☆心の闇に光を当てるカウンセリング☆田中俊一

はじめまして、私は、現在、兵庫県宝塚市にあるマンションで、
管理員の仕事をしております。田中俊一と申します。

私のブログは、30数年前に大学を卒業して
ごく普通の社会人になりました。
それまで大した苦労もなく、家族に守られた環境で育ったため、
社会の荒波?に巻き込まれ、もまれることになりました。

最初、大手食品商社の営業を10年間勤めた後、
"天職"を求め退職し、その後25年間、飲食、メンテンス、
食品関連の業種のアルバイト、正社員を含め10箇所の職場を
資格やスキルも持たないまま、転職してきました。

記事一覧(208)

人間のすべて行動は、『愛』か『不安』に根ざしている

私は『愛』について語るのは、苦手で、恥ずかしい、照れくさい、面倒くさい、これまで、そんな感じを長年持っていました。『愛』とは?と尋ねられたら、『思いやり』と答える程、狭い感覚での表現しか頭に浮かびませんでした。しかし、近年、『本当の自分』と真剣に向き合う、そして避けられそうにない局面が増えるに連れ、時間とともに少しずつですが、私の気づかないところで"心の化学反応"が進んでいたようです。そして『愛』の定義を言葉で表現することは、極めて難しいことに気づき始めました。そんな矢先、先日、メンターの講話の中で紹介された、ある本が不思議になぜか頭に引っかかっていました。その本に、こんな行があり、思わず目が止まりました。内容は極めて"シンプル"でありながら、心の深いところで共鳴したようで、"納得感"と言うか、神妙な感覚で真剣に受け留めていたように感じました。人間の行動はすべては、愛か不安に根ざしている。人間関係だけではない。ビジネスや産業、政治、宗教、子供たちの教育、国家の社会問題、社会の経済的目標、戦争や平和、襲撃、防衛、攻撃、降伏に影響を及ぼす決断、欲しがったり与えたり、ためこんだり分けあったり、団結したり分裂したりという意思決定、自由な選択の選択のすべてが、存在しうるただ二つの考えから発している。愛という考えか、不安という考えから。不安はちぢこまり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、傷つけるエネルギーである。愛は広がり、解放し、送り出し、とどまり、明るみに出し、分けあい、癒やすエネルギーである。不安があるから、もっているもののすべてにしがみつき、かじりつくが、愛があれば、もっているすべてを与えることができる。人間の考え、言葉、行為のすべては、どちらかの感情がもとになっている。ほかに選択の余地はない。これ以外の選択肢はないからだ。だが、どちらを選ぶかは自由に決められる。[神との対話① ニール・ドナルド・ウォシュ著、吉田利子訳 サンマーク文庫 P43.L8~P44.L5 改行 抜粋 強調は田中]紛れもなく真実を伝えている内容で、しかもスピリチュアル特有の専門用語もなく、わかりやすさに好感が持てました。さらに個人的に、『愛』について、このような表現で言い表わすことに意外ほど軽い感じで、スゥーッと腑に落ちたように思います。「人間の真価が常に試されている」確かに真理を伝えているように感じました。しかし、そのように思われる一方で、では、実際にそのような決断を迫られた時、「本当に私は正しい判断ができるか?」そんな疑念が正直、湧いてきました。このような考え方をするのは、私だけなんでしょうか?

「自分の考え方を変えたい、何とかしたい」と思っている方へ

これまでの人生で過去に「自分の考え方を変えたい、何とかしたい」と感じたことは、数えきれない程あったように思います。不安になって気分が落ち込んた時、どうにもできない自分を責めていた時、ダメな自分に嫌気が差して逃れたい時、そんな時、いつも決まってネガティブなスポットにはまり込んで長時間、抜け出せないままでいました。自分ではコントロールできない状態になり、「何とかしたいのに、それができない」、そんな心の叫びを幾度となく聞きながら、孤独感から来る虚しさにどっぷりと浸っているしかない、そんな状況でした。前回のブログの後半で、『行為』とは、心で想い、言葉で表現して、行動で現わすことです。「想い」より「言葉」、「言葉」より「行動」の方が、相手や周囲へのインパクト(影響)が大きくなります。と書きました。この表現から通常の認識では、「想い」→「言葉」→「行動」というプロセスになります。もうワンステップ入れて、心の成長のプロセスには、「想い」→「言葉」→「行動」→「反省」これを何度も繰り返すというのが、より効果的で実践的な手法となります。1つだけ注意するとしたら、「反省」のところで、自分を責めたり、抑圧してしまうとその時点でプロセスが滞ってしまいます。そうならないためにも、1度や2度の実践ぐらいでは、身につかないと考え、たとえ落ち込んだり、自分を責めてダメだと思った時でも、最後は自分を『全肯定』してあげる。昨日より今日、今日より明日というように、日々少しずつでも努力を積み重ねていく、そんな風に地道に努力する以外に、本当の意味で自分の心に根づかせることはできません。『本当の自分』を見つけるための"必須のプロセス"という言い方もできます。人間の心と身体の動きのプロセスをシンプルに表現しているものです。「想い」つまり「考え方」を自ら変えていくという、最も安全で確実な手法とも言えます。そして、この手法は継続すればする程、レベルアップしていきます。心の動きをより早く繊細に捉えられるようになり、より早く修復の手がかりやヒントをつかむことができるようになります。

なぜ人間に「魂の成長」が必要なのか?

ここ数回に渡ってのブログの記事は、私の仕事上の出来事と人間関係、そして心の変容ということに触れてきました。これらを踏まえた上で、より深く掘り下げた内容で今回の記事は書きたいと思います。あくまで個人的な見解と解釈であり、「そんな風な考え方もあるのか」ご参考程度に読んで頂けたらありがたいです。さて、本題に入ります。ここ1、2年、突然に出くわす出来事や人間関係のゴタゴタなど、私の周囲で起きたことを少し注意深く思い返してみると自分の意志とは関係なく、現実という世界では決して"見えない糸"に導かれるように、そして、時間の経過とともに、隠れていた本当の意味や目的が、おぼろげながらも感じられるようになってきました。それを言葉で表現するとしたら、"今、それが目の前に示されている"、"本当の優先順位がそこに示されている"こんな言い方になるように思います。当初はその状況を目の当たりにして、戸惑いや混乱があり、一時的に行動が止まることも度々ありました。そんなことを想い、感じ、心の中で葛藤しながら、いつしか"踏ん切り"というか、"覚悟"というか、そんな所にたどり着きました。最終的には、"身も心もバンザイ(降参)"、つまり、"素直で正直な在り方"それしかないことに気づいたため、"待ったなしに現実を受け留めざるを得ない"それが私の今の正直な気持ちです。しかし、そんな気持ちになりながらも、このようなことが続いてくると、偶然とか、たまたまとかでは済まされない、なぜ、いつも目の前で起こるのか?誰だかわからない、計り知れない存在がそうしているのか?そうとしか思えない不思議な疑問や不信感が頭を過ぎるようになりました。特に最近、こんなことがあまりにも頻繁に起こるので、気を引き締めて「真実とは何か」そんなスタンスで真剣に向き合って考えてみようと思い立ちました。

相手の話を聴いて「違和感」を感じた時、それが成長のチャンス

マンション管理員の業務は、日常の巡回業務、清掃、駐車場など設備関連の受付けと管理、といった作業や事務の他に、入居者の方の代表が組織する、理事会という会議にオブザーバーとして出席する仕事があります。先日、その代表の1人の方、Gさんとその会議で取り上げる、ある案件についてお話する機会がありました。その案件は、以前、私がGさんにお話しした内容が情報不足だったため、ご理解ができていないようでした。補足する必要があると判断し、再度、過去の事例を含めて、可能な限りできるだけ丁寧に内容を説明させて頂きました。しかし、Gさんのお仕事の関係で普段からなかなかお話する機会が少なく、コミュニケーション不足だったのか、私の話を聞かれても、"ご不満"があったようでした。そして、理事会当日になり、その席でGさんの発言は、私のお話を受け容れてもらえず、以前のご自分の意見を言われました。その意見を聴いた瞬間、「何でまたそのことを ぶり返して言うのか!」私の心の中に憤りととに、突如、"違和感"が広がりました。このマンションに勤めて8年、入居者の方々とさまざまな局面でお話をしてきましたが、このような意思疎通ができなかったケースは初めてでした。その場の状況とともに、"私の持っていた自信が崩れた衝撃"が"違和感"として感じられたのかも知れません。会社の上司の采配により、何とかその場の状況は収まりました。ところが会議終了後、その上司から、「Gさんに案件について、ちゃんと説明したのか」と言われ、心の中で反感を感じていました。"何を言ってもムダとの諦め"と、"言い訳するのは見苦しいとの想いを抑え込み"、私はあえて返答しませんでした。この時点で、私の心中は穏やかではありませんでした。そんな影響があったからか、"Gさんの持っている固定観念ゆえ、私の意見を受け容れてもらえなかった"、"管理員という立場上、私が見下されていた"そんな程度にしか思えていませんでした。

自分の内側から『本当の答え』を見つける方法・後編

前編からの続きとなります。今回の内容は、私の真髄といっても過言ではない重要なものとなっています。そのため、長文の構成となっておりますが、最後まで、おつき合い頂けたら、とてもありがたく思います。まず前編の後半で②"正しい選択"についてのマインドと その自覚が重要この項目について補足がありますので、今回書きます。それは、『直感』です。前回の例でありました、AかBかを選択する際、私達は多くの場合、迷い、躊躇、不安、恐れ、心配などさまざな想念が出てきます。これが自我意識、すなわち、エゴと呼ばれるものです。これとて霊的真理の学びの視点から観れば、あまり悪者扱いする意図はありませんが、"正しい選択"を観えなくしている要因と言えます。たがら、心の奥底から素直に出てくる『直感』が"正しい選択"を導き出すキッカケと成り得る可能性があるのです。ここで注意しなければならないのは、『直感』の捉え方についてです。よく『直感』を言い表わす時に「頭の中でひらめく」というような表現があります。この表現でも、その人の経験値や感受性、感性などの積み重ね、性質などによって、その中身については、"浅かったり、深かったり"、というような個人差が出てくるように思います。だから一概に『直感』を頼りにするということも、リスクを抱えることになりますので、その点を十分に考慮して、慎重に見極める必要があると言えます。