私の大好きな言葉、

『袖振り合うも多生の縁』

そんなご縁があり、このホームページへ、ご関心ご興味を頂き、

誠にありがとうございます。


私のブログは、30数年前に大学を卒業して

社会人として就職するところから始まっています。

それまで大した苦労もなく、家族に守られた環境で育ったため、

相応の社会の荒波?に巻き込まれ、揉まれることになりました。


こんな弱かった私でも傷つき、苦しみながらも、

心と意識の学びと実践をライフワークとして

取り組み始めてから、お陰様で少しずつ心と身体が回復し、

自分でも見違える程、元気でエネルギッシュになりました。


日が経つに連れ、その湧き上がるようなエネルギーは、

私と同じように悩んだり、困っている方へ

少しでもお役に立ちたいという矛先へと、

自然な流れで変わっていきました。


それは具体的な形として、

"カウンセラーとヒーラーを合わせたような、

新しいポジションを目指していきたい"

と考えるようになりました。


もし、少しでも不幸と感じられ、ネガティブ思考で、

人間関係、仕事、健康、病気などに

不安、迷い、恐怖、心配事で悩んでいる方なら、

必ずご興味、ご関心のある内容です。


突然ですが、あなたにお尋ね致します。

・今、抱えている問題は、クリアに解決されましたか?

・今から取り組もうとしているところですか?

・憂うつな思いを引きずっている最中ですか?

・もう諦めて何もしたくありませんか?

・何から手をつけたらいいのか、わからない状況ですか?


そのような状況の中で、

・問題の解決方法を見出したい、

・今のあなた自身を変えたい(何とかしたい)、

・現在、自分がやっている事に確信を得たい、

と思っている、あるいは感じている、


そんなあなたのため、今、直面している問題解決の糸口や

迷い、不安、悩みから脱却するヒントやキッカケ

少しだけ勇気を出して、あたた自身の手でつかみませんか。


私の場合、転職を10回して、人間関係、仕事のノルマに

苦しみ、悩んだ末、うつ病とパニック障害になり、

とても辛い思いをしてきました。


その時は、不安や恐怖の渦に巻き込まれて、

二度と世の中には再起できないと絶望して、

深く悩み苦しみました。しかし・・・・・・


「このままで人生終わりたくない!」


そんな最後に踏みとどまれた想いがあったお蔭で、

少しずつゆっくりと自分を信頼しながら、

何とか、はい上がって来れました。


私と同じようにネガティブな思考や状況で

落ち込んでいる方へ少しでもお役に立ちたい

という真剣な想いから、ありったけの勇気をふり絞り、

私の過去から現在に至るブログをコンテンツとして

立ち上げました。


さらに、私が今、できることとして、

カウンセリングやセミナーなど

メンタル・ケア及びサポートのサービスを

ご提供していきます。


ご案内するサービスについて一言つけ加えるなら、

マインド・コントロールとは全く無縁で、

宗教や思想などの勧誘ではなく、

また、神秘体験などによって

大きな気づきが得られるという、

個人セッションやセミナーではありませんので、

ご安心下さい。


あえてサービスのことを言えば、

私のすべての感性、感覚をフル稼働させ、クライアント様の

"悩みや問題の本質的な部分へ完全に焦点を合わせ『真実を観る』"という、

世間で言うところの一般的な心理カウンセリングとは、

ベースや視点も異なる手法となっております。


このメソッドはカウンセリングだけでなく、家族や仕事先といった

"さまざまな人間関係に対応できる万能メソッドです!"


占い、鑑定、霊視、チャネリング、リーディング、セミナー講師、

コンサルタント、ヒーラー、コーチ、カウンセラー、セラピスト、施術など、

"スピリチュアル、メンタルケアの世界における

あらゆるテクニック、ツールの原点・根源と言える

究極のメソッドです!"


世の中にはカウンセリング・サービスと言っても、

インターネットを中心に玉石混交の状況で、

さまざな情報があふれており、

クライアント様にとって最適なカウンセラーを

選ばれるのも大変なことかと思います。


そんな中、本当にお困りのクライアント様へ

少しでも手を差し延べることができたら、

そんな素直に出てきた想いから、

『やさしい光』と名づけました。


あなた自身を見詰め直すこと、表現を変えれば、

"本当のあなたに気づくこと"で、やるべき事が明確になり、

新たなアイデア、創造力、決断力などを生み出し、

あなた本来の使命、役割へとつながって行けるよう、

サービスのお申し込み頂いた際には、全霊全力で

真心を込めて最大限のサポートをさせて頂きます。


そして、いつの日かポジティブな思考へと転換する事により、

迷いがなくなっていき、困難を乗り越え、確信できる自分へと

歩んでいくチャンスをつかむ、そのお手伝いをご縁のある限り

させて頂きます。


その時こそ、あなたにとって「本当の幸せ」への階段を

一歩ずつ登っていく実感が湧いてくると確信してます。


どうぞ、何でもお気軽に、ご遠慮なくお尋ね下さい。

私ができる限りのご対応をさせて頂きます。

前回のブログを読まれた方なら、

おそらく、お気づきかと思うのですが、

私は自分でも気がつかないうちに、

いつの間にか心が落ちこんでいました。


下にある過去のブログを振り返ったら、

今回も同じようなことを書きました。

やっぱり今だにメンタル・ブロックの

1つなんでしょうね(笑)

自分で言うのも変ですが、

アップデートされた感じで、

より核心に迫った内容になったと思います。


私の場合、その状況にもよるのですが、

心が乱れる最も多いパターンというのが、


性格:やさしさ→同情または同調する


性質:まじめ、誠実→自分を責める→自分を見失う


何かのちょっとした人間関係、出来事がキッカケ、

タイミングで豹変し、気がつくと奈落の底に落ちた

ような感覚が時々あります。


私なりに、ごく普通の人間の心境の変化だと

勝手に思っています。


しかし、仮にそうなってドップリと

巻き込まれてしまった時、

あるいは、一歩手前で気づく時など

いろんなケースがありますが、


共通に想うことは、


「どうやったらこの状況から早く抜け出せるか」


ただそれだけなのです。


ということは、もうその時点で


「自分の状態に気づいている」


「冷静な気持ちになっている」


と言えるのです。


つまり、"自分を客観視できているかどうか"、

それだけの違いなのです。

さらに、ドップリと巻き込まれたり、

ガッツリと振り回されたりして、

どうにもならない時でも、


究極の客観視視点、


『浮遊視点』


それが在ります。


『浮遊視点』とは『全肯定』と同様の意味で、

たとえ台風のような荒れ狂う大波であろうと、

常に浮かび続ける、


海に浮かんだ「浮き」のごとく、

心がどんな状態になろうとも、

どこまでも観察し続ける究極の視点のことです。


もっと突っ込んで言えば、

心や意識の変化は、大きかろうと小さかろうと、

(本来は大きい小さいなんてないんです。)

自分が創り出した、"ただの幻想"であることに、

気づけるかどうかなのです。


これを例えたら、

映画館のスクリーンを見て、

感動して、泣いたり、笑ったりと、

心が動かされているのと同じような体験を

しているに過ぎない

それだけのことです。


見えない、形のない

心や意識の問題は、肉体と異なり、

手術で切除するといった物理的な対処療法は、

不可能です。


うつ病なら、向精神薬などの投薬治療もありますが、

医療関係の話をするつもりはないので、

取り敢えず脇に置きます。


その真実を自分の内側へ同化、すなわち腑に落とすには、

心がブレたら元に戻し、またブレたら元に戻し、

それが100回、1,000回、10,000回だろうが、

何回でもブレたら元に戻すを繰り返す以外に

確実な手段はないのです。


面倒くさい、かったるい、人をバカにしているのか、

もっといい方法はないのか、そんなこと信じられないなど、

さまざまな反応があるかと思います。


また、いざ社会生活の中で実践してみると、

最初の頃は不慣れなことで、憂うつになったり、

迷ったり、混乱したりすることもあるでしょう。


しかし、ある程度の時間が経過し、

過去を振り返ってみると、

それが"真実である"ということが必ずわかります。


また、このことは人によって、

さまざま事情(前世、カルマ、育った環境など)で、

その回数は異なると言われる方もおられますが、


そんなことは、あえて


"この際関係ない"


"どうでもいい"


と言わせてもらいます。


人間の心と意識は、仕事や人間関係で、

どんなに落ち込んでもがき苦しみ、

そして辛く悲しい想いや挫折を繰り返し、


私のように、うつ病や発達障害などの

精神疾患を抱えたとしても、年齢や性別に関係なく、


自ら成長したいという"意志"があると気づいたら、

"化学反応"のような"意識変容"という変化が起きて、

さらなる成長への道程へとつながっていくのです。


私自身もそんな回数なんで気にせず、

ひたすら心がブレたら元に戻すを

3年近く続けて来ました。


その結果、心がとても楽になり、

心配事、不安に対する心の対応が大きく変化し、

"安心"、"平安"、"調和"といった感覚がわかり、


家庭や仕事といった日常生活が

とても穏やかな心境で

おくれるようになりました。


メンタルの特別な資格や知識、能力を持っていない

ただのマンション管理員の私でも、

50代半ばで始めて、

ここまで来れました。


その"意志"さえあれば、

いつでも、どなたにでも、できることです。


それに必要だったマインドは、


"絶対に、あきらめない"


"ひたむきに、愚直にただ続ける"


この2つだけでした。


これは人や本、インターネットといった、

"外側からの情報や知識ではなく、

自らの経験や体験を通してでしか、

真の学びと価値が見いだす事ができない、

ということも真実なのです"


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無料でプレゼントさせて頂いておりますが、


実は、これらの資料の内容は、

私の単なる体験談ではなく、

『真実の視点』を指し示す『羅針盤』の軌跡

でもありました。


それを起点として、どのように置き換え、

ご自分の日常生活や仕事、人間関係に

生かすためお役に立てるよう、


ブログなどの文字情報を超えた、

ご自分だけしか得られない必要不可欠な情報も、

私と関わるセッションなどを通して、

学んで頂けるようなサポート可能な状態です。


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前回の不祥事に関する記事で、

今回は所属会社の前担当者だったG氏(以降G氏)に

スポットを当てたいと思います。


新聞記事には、

「G氏が起こした不祥事は十数年にわたり、

 お客様から預かったお金を着服し、

 家のローンの返済や子供の教育費に当てていた」、

というようなことが書いてありました。


私はこの記事を読みながら、

動機の1つの側面として、

その通りだと思いました。


しかし、前回のブログでも書きましたように

G氏とは3年半以上にわたり、

一緒に仕事をともにしてきたので、

彼の性格や気質については、

"部分的に"わかっていました。


"部分的に"と言ったのは、

私の個人的な見方の範囲で

わかっていることがある、

という程度のものです。


そのような表現をした背景は、彼が私に対して、


"心を開いてくれなかった"


ということにあります。


人とのコミュニケーションの基本というか前提は、

相手の人と"新たな関係"を築きたい、

と思った時って、誰でもあるように思います。


私の場合、そんな時の心境から、

"自分のことを少しでも知って欲しい"、

という願望、その時の相手の状況に合わせて、


自己紹介や経歴なり、家族の話なり、

趣味や好きなことを引き合いに出し、

自分のことを自然な形でアピールしたり、

本音をちらっと言ったりして、


"相手に興味や関心を持って欲しい"


という言動にでるパターンが多いです。


しかし、強く意識したわけではなかったのですが、

G氏にさまざま角度からアプローチをかけました。

しかし、"仕事以上"の人間関係を

築くことはできせんでした。


踏み込むことのできない、


"厚い壁のようなモノ"


今となっては永遠の謎ですが、

そんなものがあったように感じました。


とは言え、G氏は業務の責任者という

ポジションにいて、とても頭の回転がよく、

業務の状況に合わせた対応でき、

機知に富んだ判断をされる優秀な方でした。


そんな彼が、

「お客様の多額のお金を使い込んだ」、

ましてや、十数年以上にもわたり

数百回も繰り返したのが、

"信じられなかった"のです。


自分や家族のため、確かにそれもあったでしょう。

しかし、一方で所属会社に対する


"不満"と"やるせなさ"


そんなのが心の底にあったように思えるです。

2年程前の年末にこんな出来事がありました。


毎年この時期に、所属会社の担当者は、

各マンションに勤務している管理員へ

恒例の挨拶廻りに来ます。


その時、粗品とともに所属会社の挨拶文が、

必ず手渡されます。


私がそれらを受け取った時、

G氏は私に対して怒った感じで


「そんな挨拶文、すぐ破り捨てて下さい」


と言われました。


私は一瞬、何のことか意味がわからず、

自分の耳を疑いました。


しかし、彼が事務所を退室して、

落ち着いて考えみたら、

その意味がわかりました。


彼は、所属会社の挨拶文を作成した

会社幹部もしくは他の幹部、

さらに会社全体に対して、


"強烈な不満"を抱いている、


ということに気づいたのです。


その出来事は、それ以来、私の頭の中から

消えることはありませんでした。


そして不祥事の新聞報道から数日後、

新担当者から今回の不祥事のてん末を聞き、

"これまでのモヤモヤが整理できました。"

(感情をはさまない彼の冷静な話が

 おそらく私の気持ちを落ち着かせて

 くれたように思います)


つまり、この8ヶ月の期間、

G氏が会社を退職したという事実だけが先行し、

正確な情報が全く入ってきませんでした。


私自身が勝手な憶測や思い込み、先入観といった想念を

つくっていたことに、ようやく気づいたのです。


もっと簡単に言うと事の真相が明らかになるまで、


"自分のつくった幻想に振り回されていた"


ということなのです。


実は、今回のブログは既に

ほとんど書き上げていたのですが、

「これは本当に伝えたいことと違う」

「G氏への想いに囚われている」と、

途中で「ハッ」と気がつき、

書き直したのです。


G氏とは3年半以上にわたり、

仕事だけのつきあいとは言え、

苦労を共にした言わば同士であり、

お世話になったご恩も感じています。


そのゆえに、私の心の中では、


"感謝の気持ちとともに、

情も十分持ち合わせていました"


カウンセラーなんて看板あげていますが、

所詮、ひとりの弱い人間に過ぎません。


だから、今回起きた一連の出来事を通して、

心が"ブレまくる"ことだってあるのです。


たとえそうなったとしても、

"今回のように新担当者が絶妙のタイミングで

完璧なサポートしてくれたお蔭で、

結果的に立ち直れ、元の心の位置に戻れたのです"


私の"目"が曇っていて、

"真実の視点"で観ることが

できなかったことに気づいたから、

今回のブログが書き直せたのです。


最後になりますが、

ここに至るまで私だけの力ではないことを

まさに今回も実感せずにはいられませんでした。


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私達人間が自ら行った行為は、

必ずすべて自分に返ってくるという、


「カルマの法則」「作用・反作用の法則」

「原因と結果の法則」

「因果律の法則」「因果応報」


と表現は異なるものの、すべて同義語と

考えても差し支えないと思います。


私が以前書いたブログの内容が、

ついに現実となって、

目の当たりにする事件というか

出来事がありました。

今、この世の中というか、

地球上で起きていることの真相の一部として、

公表することが、


"浄化という事象を示し、

 それが正しい方向へ向かっている"


と判断し、

私の個人的な立場、

そして仕事上でのリスクを覚悟の上で

シェアしたいと思います。


それは、昨年の最後の出勤日でした。

いつものように、マンションの管理事務室に入り、

仕事の準備にかかりました。


前日、勤務時間外に所属会社から

1件のFAXが届いておりましたので、

その内容を見た時、

思わず、"ア然"となりました。


そのFAXの内容とは、

「所属会社の前担当者が

 マンションの居住者の方々から、

 お預かりしていたお金を長年に渡って

 着服していた」

と掲載された新聞記事への

対応についてでした。


新聞記事の内容から察すると、

当マンションでは被害が出ていない

ようでしたので、ひとまず安心しました。

私の心の中には、次の2種類の反応がありました。


「あーあ」という残念な想いと

「やっぱり」という真実が明らかになった

という法則に対する確信とが、

しばらくの間、交錯しておりました。


「あーあ」と想ったのは、社員や私達パート従業員、

そして客先へは、

「体調不良による退職」というアナウンスしか

なかったことです。


前担当者が退職する数週間まで、

私といつもと変わりなく業務の連絡をしておりました。


急性疾患での入院と思ったのですが、

自宅待機していたようで、

そのようなことはなかったのです。


あと考えられるのは、

精神疾患、つまり、うつ病と思いかけたのですが、

その経験がある私から見ると、

目つきにこれといった変化も見られず、

そんな兆候も感じられませんでした。


前担当者とは、それまで3年半以上にわたり、

一緒に仕事をしてきたので、

私の感覚からすると、

「体調不良による退職」

というのは信じ難い理由でした。


言ってみれば、

"隠蔽の臭いがプンプン"したままでした。


そして、前担当者の退職から、

かれこれ8ヶ月が経過して、

どうやら先にマスコミに

すっぱれ抜かれたようなのです。


私は今まで表立って言いませんでしたが、

「やっぱり」と法則に対する確信に至った理由は、

こんなことからでしした。


私が識っている範囲のことをかいつまんで言いますと、

地球の浄化、つまりアセンションとのかねあいから、

目には見えませんが地球上にある精神階層という領域で、

過去数世紀にわたって人間達がつくったネガティブな想念が

どんどん消えてなくなってきているようなのです。


つまり、どんどん地球上にある精神階層が

キレイになってきているのです。


精神階層を空に浮かぶ"雲"に例えたら、

分厚い"雲"だった状態から、青空がスッキリと見える状態へと

変わってきたということなのです。


この状態がどういうことを意味しているのかと言いますと、

まず冒頭にいくつか書き出しました「法則」

これは"絶対不変の法則"なので変わることはありません。


ところが、先程の人間達のつくったネガティブな想念の

分厚い"雲"がなくなり、キレイになったことで、

そこを必ず通過する「法則」は、時間という尺度で例えるなら、

今まで以上の速さで放ったものが、元のところへ返ってくる、

という状況に変わってきているのです。


つまり、今回の所属会社で起こった前担当者の不祥事は、

会社の幹部が隠蔽しようと意図したかはどうか不明ですが、

結果として世間に明るみになってしまったのは、

まさしく、この「法則」から逃れることができない、

ということの検証だったように感じました。


私にとって目の当たりにした、衝撃的な出来事であり、

同時に「法則」に対して、より確信を深めることができた、

尊い経験となりました。


今回の話は、私の所属会社で起こったという

組織での出来事で、それを私が個人的に取り上げたに

過ぎません。


この「法則」は、私達人間がこの世で生きていく限り、

カルマ(業、行為)は常についてきます。

それは、"大いなる存在(神)"が創り出した完全なる仕組み

なのです。


そして、私達人間は、カルマを恐れたり、避けたり、

排除したりするのが、

本来の目的(神が望んでいる)ではなく、


"向き合う"、"受け容れる"


その経験や体験から、学びや気づき、

"自らの内側に腑に落とすこと"が、

それぞれの人間にとって最も重要な

"魂の成長"へとつながっていくのです。


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皆様、あけましておめでとうございます。


新たな年を迎えるにあたり、

生きとし生けるすべてのものにとって、

平安で調和の世界となりますよう

心より祈念致します。


さて、今年も心の本音エネルギー全開で、

年甲斐もなく突っ走る覚悟ですので、

おつき合いの程、よろしくお願い致します。


先日のこんな出来事がありました。


妻が義父から

「家族との関係で悩んでいる相談を受けた」

との話を聞きました。


私も以前から、それとなく状況は知っていましたが、

「その時が来たか」

と感じました。


とは言っても、ご本人の考え方次第なんですよね。

その時はそう思っていても時間経過とともに変わり、

さらに感情の動きでも左右されます。


本心から問題として悩み、そして解決したいと

真剣に考えているのかどうか、

また、ご本人が本気で向き合おうとしない以上、

仮にこちらがどれほど待ったとしても、

何もできないというのが実状なのです。


"本当の意味で手を差し伸べる"、

とは何なのか?


それを私事として突きつけられ、

考えさせてくれる出来事だった

ように思います。

身内であればあるほど、情愛というものが
湧くというケースが多いかと思います。


仕方のない面もあると同時に、


"私自身の在り方"


を問われているとも言えるのです。


私が思うに夫婦間であろうと、
意見や考え方の違いが出てくると
想像できます。

そんな状況になったとしても情愛に流されず、


"自分の在り方"


それを通すことができるのか、

と考えさせられることがあります。


しかし、何だかんだ先のことを言っても

キリのないことで、今の時点で、

そのことを考えたとしても、

妄想に浸り、囚われるだけ、
ムダな労力をすることになります。
決して傲慢な態度で言うつもりは、

サラサラありません。


結論として、ただ私が今できることは、


「義父にとって識って学ぶべき必要な状況」


という視点から、

ご本人のため、そして私自身のために


「ただ静観し見守るしかない」


としか言えないのです。


冷たく非情な対応と思わるかもしれません。


しかし、その状態こそが


"自分の内側にある完全性に

 焦点を合わせている"


それなのです。


たとえ義父というご縁があった人でも、

"自由意志を尊重する"という

 自然の法則に従う以上、

 どうにもできないのです。


仮に情愛に流され、私が義父に

軽率でお節介な行動を取ったら、

義父自身にとって必要だった学びを

結果的に妨げる可能性があるのです。


今回の記事に登場した義父だけではなく、

妻の実家にいる他の家族にも、

お互いの状況、立場の違いはあるものの、

義父と同様のことが言えるのです。


年始に親族が集まった時に、

その"家族間の冷戦"

は既に始まっていたようです。


重要なことは、私自身がそのような状況に対して、

巻き込まれず、如何に冷静に対応できるかが、

鍵となることは言うまでもありません。


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先日、年末のギリギリだというのに、

仕事を休んで、地元の市民病院で

初めての人間ドックを受診しました。


50代に入って、いつかは受けたいと思って

おりましたが、検査に対する怖さとズボラな

性格があいまって、ズルズルと延びて、

ようやくの受診となりました。


ただ、受診に至るまでの背景が興味深いものを

感じましたので、シェアしたいと思います。


先月に知人の占い師(タロット)に来年のことを鑑定して

もらった時のことです。


身体の血管や心臓に注意もしくは価値観が大きく変わる

可能性があると言われ、以前に同じカードが出た男性の方が、

何も対処しなかったため早死されたという話を聞かさた時、

心配になり、ドキドキしながら再度どちらなのかを、

もう一度鑑定してもらいました。


その結果、身体の血管や心臓ではないとわかり

ひと安心しました。


(後から気づいたことなのですが、

"究極の本源"という視点から捉えたら、

タロット占いで出た2つの事柄については、

"同等"であり"どちらでもOK"ということになります。


つまり、「身体の血管や心臓ではないとわかり

ひと安心した」というのは私の自我意識(エゴ)から

出てきたもので、その結果も自我意識(エゴ)が

満足したに過ぎなかったのです。)


しかし、その占いの鑑定結果では

なぜか確信できないものがあったこと、

そして私だけならまだしも家族や仕事先の関係者に

迷惑をかけたくないと思ったこと、

そんな想いが重なって、人間ドックを受診しようと

決めたのでした。

数日後、地元の市民病院に電話で問い合わせたところ、

月内は予約に空きがなく、次月(12月)の月末最終日に

キッセルが1人分出たところという話を聞いた時、

すぐに申し込みました。


その日程の人間ドックの申し込みを済ませた後、

電話の受話器を置いた時、


「やはり、そういうことかあ」


と心の中でつぶやきました。


それは、"見えない流れに乗っているような感覚"で、

おそらく"シンクロ"だったように感じたからなのです。


実は受診当日、病院に行ったら、その日の人間ドックの定員が

3名と判明し、またご一緒に受診された方2名は高齢のご夫婦で

毎年受診されており、予約を入れるのに大変な苦労されている

というお話を聞き、さらにその確信が深まりました。


「やっぱり、そうだった」


と納得した感じでした。


「しかし、なぜ?何のために?」


という疑問が頭の片隅に若干ありました。


たかが初めての人間ドックという言わば

「健康のため」という目的だけで、

このようにな流れになるとは何となく信じ難いと

感じていたからです。


私は決して"大いなる天からの流れ"を疑ったり、

信じなかったりしたわけではありません。

その1つの答えと思われることが、

その日の午後に唯一残っていた検査にあったように

後から振り返って気づきました。


その検査とは

「MRI検査」でした。


この検査の事前に記入した問診表の中に、

「閉所恐怖症」

という項目がありました。


私はその項目を見た時、自分の顔の表情が変わったことが

自分でわかりました。


「しまった~、ヤバァ!」


その言葉が頭の中をよぎりました。


それは、

「持病のパニック障害が発症するのでは?」

その"恐怖心"からでした。


MRI検査を始めるというコールが私にかかり、

検査室に入って身につけていたものを係員に

手渡した時、緊張が高じていたため思わず、


「お水を飲みたいのですけど、いいですか?」


と言ってしまいました。


検査員からOKが出て、室外で出て

冷たい水を飲み、再度入室しました。


そのままMRIの検査台に身体を横たえ、

検査員が私の身体に器材を装着しましたが、

気持ちはざわについたままでした。


身体への器材の装着が終わり、

検査が始まりかけた時、

思わず叫ぶような声で、


「中(ドーム内)へ送風して下さい」


と言ってしまいました。


程なくドーム内が送風されて、


「なんだ、できるなら事前に教えてくれたら、

言わなくてすんだのに」


と思いながらも、ホッとしました。


検査が始まり、ヘッドホンをしていても、

ドーム内は大音響が幾度となく鳴り響きました。

その時、私の内側から、"声"がしました。


「大丈夫だよ!」


その"声"は、私が必ずと言っていい程、

切羽詰ったギリギリの状態の時に聴こえてくる、

絶対信頼している"声"でした。


お蔭で、徐々に私は落ち着きを取り戻すことが

できました。


そして、私の身体は時間とともに慣れてきて、

後半には「瞑想」状態となっていました。


つまり、周囲の状況を受け入れて

心身ともにリラックスしていた状態に

変わっていったのです。


このMRI検査での経験を通して、

私は今までの次元とは異なるより深い理解に

至ったことに気づいたのです。

前述の私の内側からの"声"


「大丈夫だよ!」


それは以前なら、

今回のようなパニック障害に関することに限らず、

目の前の切羽詰ったギリギリの状況について

安心感を与えてもらった、

というだけの意味合いで捉えていました。


しかし、今回はその意味合いたげではなく、

私の心の奥にあった健康や病気への不安、

さらに深いところで抱えていた、

根本的な"恐怖"に対してまで、

先手を打つような感じでした。


簡単に言えば、

現実は検査中にも関わらず、

検査結果を先読みするような

"インスピレーション"を感じてました。


それを私自身、感じた時には、

一瞬信じられないと思いましたが、

それまでの流れがわかっていたため、

"信じるしかない"という選択しか

ありませんでした。


そのことは言葉にできない、

そして今までの人生で味わったことのない、

限りなく深くそして穏やかで温かな安心感となりました。


おそらく、これは私の主観に過ぎませんが、

その根本的な"恐怖"と向き合ったことにより、

それがただの"幻想"であったことに気がつき、

ようやく腑に落ちた、

ということだったように感じました。


2018年は私にとって、

57年の人生で忘れることのできないほど、

さまざま経験をした激動の年だったように思います。


しかし、見えない、形のない心や意識の世界という

真理(しんり)を探求することで、

さまざな事象に対して、それまでの知識や感性を生かし、

自分のできる限りのベストを尽くせたように思います。


真理(しんり)の道程には終わりというものはありません。

だから、私の中の自分(本当の自分)によって、

あきらめず継続していく意志がある限り、

来年も精進していくつもりです。


これが今年の最後のブログになります。

皆様、よいお年をお迎え下さい。

来年もどうぞよろしくお願い致します。


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前回のブログで、東京での私の不動産処理について

兄妹の話し合いをする前に、

メンターとのセッションで、私が妹夫婦に対して

「気になる」とは既に「巻き込まれていた」状況で、

彼らを意識してエネルギーを注いでいたことに気づいた、

と書きました。


実は、そのセッションの中で、

さらに重要なことに気づいていたのです。

それは私が"今"という状況を

おろそかにしていたということでした。


本題に入る前に、今回の記事も私の個人的な思考、

価値観から出てきた表現であって、

決して身内を誹謗中傷するものではない、

ということを予め言っておきます。


まだ先の予定、つまり未来の兄妹の話し合いに対して、

私はひとり勝手に妄想をふくらませ、

シミュレーションした挙句の果てに、

不安と恐怖を抱えてしまったのです。


それが客観視できたことにより、

"今というその時、その瞬間"

意識の焦点を合わせることを

忘れていたのに気づけたのでした。


それに気づけたことは大きかったです。

これがキッカケとなり、当日の話し合いの後半で、

今後の方向性を示す"決定打"となりました。


これは実際に話し合いの場に居り、

生の状況を確認できたから言えることなのですが、

その場を何とかしようと、妹夫婦に対して反撃しかけたり、

また逃げようとしたりするつもりも全くありませんでした。


話し合いをしているうちに冷静になって

わかってきたことがありました。


それは、


妹夫婦は「過去に囚われている」


私は「今、現在に焦点を合わせる」


この違い、ギャップがハッキリとわかりました。


普通なら、このような状況では、お互いの論点が全く異なり、

話し合いは平行線となり、折り合いがつかない、

と思われました。


ところが、これからどうするのか、

という岐路に立たされた時、

話し合いを再構築するにあたり、

私はその前提となる話をしました。


その話した概念を、ひと言で言うなら、

第3の選択「調和」でした。

つまり、これからは兄妹それぞれが

はじめから仕切り直すにあたり、

関係改善の努力をして、

お互いに話ができるようにする、

という提案でした。


より簡単に言えば、兄妹同士がいがみ合っても、

何の得(徳)にもならないから、

"仲直りというか、まとまって行こう"

ということです。


これまでもめたもともと原因は、私達兄妹それぞれの

コミュニケーション不足や価値観、固定観念の違いが、

お互いに"不信感や妄想を生み出してきた"わけです。


それらはすべて心でつくった幻想に過ぎず、

最初から兄妹同士が不仲でお互いに傷つけ合う目的など、

どこにも存在していなかったわけです。


そのことに私が先に気づいただけのことなのです。

そして話し合いをやり直すにあたり、

「調和」というのを言葉に出しませんでした。

誰の目にも見えない、そして形として存在しない、

"愛"や"光"で満たされているエネルギーで、

その場に居る人達を包み込む

そんなイメージを持ち続けていました。


"このイメージを胸に、場の雰囲気を感じ取りながら、

その時しか出てこない最適な言葉"で表現したように

記憶しております。


最後に私がこの度の一連の経験を通して、

最も大きかった収穫が1つあります。


それは決して無責任でいい加減な対応と

誤解して欲しくないのてすが、

私はこの話し合いをするにあたり、

事前にほとんど準備しておりませんでした。


妹夫婦がどのような施策を講じてくるのか予測できない、

という考えもありましたが、

一方では考えても切りがない、時間のムダとの

認識もありました。


私は後者の方を選択しました。

その代わりに、

"大いなる存在にすべてを委ねる、託す"

という判断をしました。


そこに至ることで、

それまで抱えていた不安や恐怖は消えて、

"平安、調和、愛"へと代わりました。


極論を言えば、成功しようが失敗しようが

そんなのは人間の限られた狭い視点から

判断することであって、"どうでもいいこと"なのです。


そしてどうような結果が出ようとも、

私はそれをすべて受け容れる覚悟をしておりました。


それが当日の兄妹の話し合いの場で

展開された事象だったようです。


この経験は私にとって、

"大いなる存在にすべてを委ねる、託す"

それが初めてできたことが生涯忘れることのできない

大きな収穫だったのです。


私自身は今も無宗教で、

神や仏を敬うという信心深さとは、

無縁とさえ思っておりました。


そんな私でさえ、今回の物事の運び方が

自分だけの力ではなく、お神輿に担がれた感覚で

進んでいったその感覚が、とても人間のなせる事ではない、

との思いがしっかり心に刻まれました。

「"大いなる存在"とは、"神"と言い換えても

いいのではないか」

そう思わずにはいられない今の私です。


ここから追記となります。


今回の記事は、妹夫婦が

「過去に囚われている」ということでした。


以前の私自身もそうでしたし、それに"気づかず"

普段の日常生活や仕事をされている方って、

私の身近なところでも結構いらっしゃるように

思います。


中には過去について自らつくった

強固な固定観念によって、思考や行動を縛られ、

手の施しようのない方もおられます。


妹夫婦もそうですが、1度や2度の話をしたから言って、

それによって心を開くとは考えておりません。

おそらく相当の"忍耐"が必要だと感じております。


ここ3回に渡って書いた記事の一連の出来事は、

私達兄妹にとって、それぞれが与えられた課題と向き合う、

"新たなステージの始まり"と考えて受け留めた方が、

私の心の奥底では嬉しく感じているようです。


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前回のブログは、私が妹夫婦に最初は一方的に責められたにも関わらず、

最後には何とか話を収拾し、お互いの話し合いを仕切り直すところまで、

合意にこぎつけた。


と書きましたが、実はそこまで至るのに何もなかったわけでは

ありませんでした。

ハッキリ言えば、私達夫婦は精神的な負担がのしかかってきました。


本題に入る前に、今回の記事も

私の個人的な思考、価値観から出てきた表現であって、

決して身内を誹謗中傷するものではない、

ということを予め言っておきます。


どういうことかと言いますと、

以前のブログで書きましたが、亡き母の法事に兄妹が集まるので、

それに合わせて私の不動産処理について話し合いの設定を

妻が私の代わりにしかけた時、妹夫婦からは弟夫婦に対しての考えや

私が関係した過去の出来事について、メールのやり取りがありました。


妹夫婦は私を信用していなかったためか、

当事者ではない妻に対して、そのようなことを

するしか頭になかったようです。


さすがに気丈な妻も、私と妹夫婦の間に入り、

当事者しかわからない過去の出来事について、

何度もメールのやり取りをしたため、心のバランスを崩しかけ、

私がそれをサポートすることが何度かありました。


"私が妻の代わりに、そのやり取りをすればいいのに"、

と思われる方もいるかと思います。

しかし、このようにこじれた人間関係において、

メールのやり取りだけでは、

"水掛け論"に陥る可能性が高いと考えておりました。


実際に1年程前には、私と妹夫婦との間で、

同じような展開となり、結局、収拾がつきませんでした。


そのような過去の苦い経験から、今回は違う手法を選択する

必要性がありました。


そんな背景もあり、私達夫婦の会話は、

ほとんど毎日妹夫婦のことが中心でした。


ところが、まだ兄妹が集まる日まで日にちがあったため、

私自身が知らず知らずのうちに、

「巻き込まれていた」

ということに気づいたのです。


私は「気になる」程度だったのですが、

だんだんと不安と恐怖という妄想に発展しました。


そしてそんな私の心と意識の状況が、

月1回行っている、メンターとのセッションで

明確にわかりました。


「気になる」とは既に「巻き込まれていた」状況とは、

つまり、私が妹夫婦を意識してエネルギーを注いている状況で、

しかも私が妹夫婦に対抗して、当日の話し合いのシナリオを勝手に描き、

言わば、妹夫婦と同じように、"攻撃と防御"の姿勢をとっていたことに

気づいたのです。


まさに、

「目には目を歯には歯を」の報復律

そんな状況にハマっていた自分に気づいたのです。


その時の自分の心と意識の状況が客観視することで、

シフト・チェンジしたようで、より精度を増して冷静に分析できる

大きな自信につながりました。


数日後、そんな私の心と意識の状況を試すかのように、

妹夫婦の不信感が収まらかったのか、私宛にも各々から別に

メールが来ました。


特に妹からのメールが凄まじかったです。

内容は私の過去に関することだったのですが、

ちょうど仕事を始める前、

その日の「モーニング・ページ」の終わりかけでした。


「モーニング・ページ」については下のリンクのブログが、

ご参考となります。


そのメールを見た途端、急に心臓の動機が激しくなり、

手が震えだしました。

メートに書いている字が手の震えで書くのが困難になり、

字自体も震えていました。


心を落ち着かせるための「マントラ」を唱え、

意識のフォーカスを戻しました。


この時に感じたのは、そこに意識のフォーカスを

当てたままでしたら、

まさに地獄の底へ引きずり込まれそうな

強烈なネガティブ・エネルギーだったように思います。


私が何とか立ち直った後、珍しく妻から電話が入りました。

その声は幽霊でも見たあとのように暗く落ち込んでいました。


「メール見た?」


どうやら、妹からのメールは私だけでなく、

妻にも同様の内容のものが送られたようなのです。


「私、メールを見て手が冷たくなった!」


妻のそのひと言を聞いた途端、


「やっぱり、そうだったか!」と思い、


私も同じ影響を受けたことに納得がいきました。


妻は私と同じ対処ができないため、

その電話で説明してのサポートしか

手立てはありませんでした。


決して皮肉を言うつもりはありませんが、

妹からは


「とても貴重な経験と学び」


をさせてもらいました。


そして彼女らのメールに対して、

私はほとんど返答をしませんでした。


つまり、そんなネガティブなエネルギーに対して

あえてまともな受け答えは不必要と判断し、

私に対する憎悪、不信感を増幅させてもいいから、

また一方的に責められるのを覚悟の上で

東京での話し合いに、彼女らと直接向き合うしか

方法はないと決めていました。


この私の判断は、リスクを伴う、一か八かという"賭け"

という安易な意図からではなく、

そうかと言って概念に基づいた根拠といったものもなく、

ただそれが"最善の方法"との確信に近いものがありました。


次回の記事は、その辺についてより深く掘り下げて、

書きたいと思いますので、お楽しみにして下さい。


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タイトルの相手とは、妹夫婦のことを指します。


以前書いた記事で↓



あれから、実際に兄妹夫婦間で話し合いの場が設けられ、

私はあえて自分の不手際を承知の上で、

妹夫婦から一方的に責められるという

"生の経験から学んだ状況"についてシェア致します。


これはあくまでも、私の個人的な感覚、

価値観から出てきた表現であって、

決して身内を誹謗中傷するものではない、

ということを予め言っておきます。


その日は、亡くなった母の27回忌ということもあり、

東京へ向かい、午前中に実家近くの菩提寺にて

法要をすませました。


実はその時から、既に妹夫婦の冷たい視線というか

雰囲気を感じ取ることができました。


おそらく本人達は気づいていないのでしょうが、

今までの私の不動産に関しての対応について、

不満が爆発しそうな負のエネルギーが、

冬の寒さをさらに助長するように、

"冷たい空気"が寺のお堂の中で放たれていました。


妹夫婦の気持ちはわかるのですが、

やはり亡母の法事という場ですので、

如何なものかなあと思いました。


私は何とかしたいという想いが募り、

とにかく私にできることはやろうと思い、

ご住職の読経中、瞑想に入り、

心の中でマントラを唱えることに

シフト・チェンジしました。

(ご住職、お寺の宗派と違う行為をしてすいません。)


ここからの話は、私の個人的なイメージの世界だったので、

さらっと流して読んで下さい。


よく工事中など人に注意を促すために使われる、

「カラーコーン」というプラスチック製の赤色や黄色の

三角すいの形をしたものをご存知でしょうか?


その場所はちょうどお堂の真ん中辺りでした。

それは大きさも形もその「カラーコーン」ぐらいの

表面に少し凹凸のある黄金の光を放っている、

"光輝く三角すいのかたまり"でした。


だんだんと大きくなり、大人の背丈は十分超えた高さまで、

大きくなったかと思ったら、突然その形が変化しました。


最初は、"聖観音菩薩"、次に"千手観音菩薩"となり、

その場で円を描くように回転し、

最後は、インドの"シヴァ神"へと

代わっていきました。


おそらく、その場を何とか浄化したい、

そんな私の想念がイメージとなって

現れたように感じました。


私はその光のイメージはとても大事なものと受け留め

その状態を意識するような感覚で、

午後から私の不動産に関しての話し合いに

臨みました。

話し合いは、案の定、妹夫婦は"過去"のメールの会話、

資料をもとに、私をターゲットにして責め立ててきました。


私は予想されていたとは言え、彼らのエネルギーに圧倒され

動揺しかけましたが、自分を冷静に落ち着かせるためだったのか、

無意識にカウンセリングの実習で身につけた、

私の型となりました。

(これは私の独自の型、対処法ですが、私と同じような経験は

誰にでもできますし、またご自分に適合した対処法も

見つけられます。)


どうやら、その型がその状況での

私にとってベストだったように感じられ、

同時に自分に対する絶対の信頼と安心感へと

シフトしました。


「何があろうと絶対に大丈夫!」


それは声や言語とも言えない、私だけではなく、

何か見えない存在に支えられているような

力強さとやさしさを持ち合わせたエネルギーらしきものが

感じられたように思います。


そう感じられるようになると、妹夫婦に対して、

話の切り返しができるようになりました。

話の切り返しといっても、彼らの言葉数に対して、

数える程のものでした。


しかし、それだけでも十分な効果があったようです。

私の投げかけた言葉のいくつかに

妹夫婦の感情が変化したのをキッカケとして、

話の流れが少しずつ変わっていきました。


その流れに沿ったのかわかりませんが、

最終的に私が話を取りまとめ、

お互いの話し合いを仕切り直すことで

合意にこぎつけました。


話し合いを仕切り直すための条件として、

妹自ら話し合いの中で「前向き」という

言葉を出していたので、


「だったら、今後は"過去"のことは横に置き、

"今"とか"今日"のことをもとに話し合おう」


と私が言ったところ、妹の口から


「それについては時間が欲しい」


との発言が出てきてました。


その言葉を聞き、私は"本心から

安堵感"が出てきました。


この一連の流れとなった背景とその本質については

次回の記事に書きたいと思いますので、

お楽しみにして下さい。


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前回の記事を書きながら、Bさんにまつわる

過去の出来事を思い出しました。


分譲マンションでは通常、年1回、
その年の決算承認と次の年の予算を決め、
他の大きな議案を決裁するため、
総会という会議の場を設けています。

そこでは、マンションの居住者の方々が
集まり、私どもマンション管理会社の
関係者も同席します。

会議の場は、マンションの居住者の方々が中心で、
役回りの理事と議案を審議する方々に分かれ、

質疑応答するという形式です。


あれは4年前、その総会の場での出来事でした。


Bさんが私どもマンション管理会社に対して、

その会議の内容になかった資料の提出を

求められました。


当時、私の上司だったG氏と見解の食い違いが生じ、

収拾がつかず、最後はG氏の方がキレてしまい、

公の場にも関わらず

"怒りが頂点に達し爆発した"、

という前代未聞の出来事がありました。


総会は、そんなことがあっても終了し、

それから数日後、Bさんが私の仕事場に来られ、

「あの担当者(G氏)を替えてほしい」

と話されました。


おそらく、Bさんも、先日の出来事に対して、

怒りが収まらなかったのでしょう。

その気持ちを察することはできたのですが・・・


その返す言葉は、

「わかりました。G氏へは、私がそのことを伝えます。

 私もその場で同席していたのですから、

 私も替わってもよろしいですか?」

ということを言っていました。


Bさんは少し困惑の表情になり、

「あんたは替わらなくていい」

そう返事をされました。


ちょうどその頃は、私自身も

仕事に対して、行き詰まりを感じており、

早くこの仕事から離れたい、

そんな想いが頭の中を巡っていた時期でした。


加えて、マンションの理事という役員は、

輪番制、つまり、順番が既に決まっていて、

Bさんが4年後に回ってくるのが

事前にわかっていました。


そんなことから、"私も替わってもよろしいですか?"

という今から思えば、突拍子もない発言となったように

思います。

その時から4年後が、前回のブログに書いた状況なのです。

私が頼りにしていた上司G氏も、Bさんが役員となる直前に

突然、会社を退職してしまいました。


ショックでした。

私だけでこれから先、

Bさんの相手が務まるのかと本気で悩みました。


ただ、自分でも不思議と思えるのは、

この状況から逃げたいとか、仕事を辞めたいとか、

という否定的、ネガティブな発想が

なぜか湧いてきませんでした。


「成るべくして成った」

それを本当の意味で心の底からわかるようになった

からだと思うのです。


この3年近く、心と意識についての学び、

より突っ込んだ表現をすれば、

目に見えない、そして形のない世界、

『霊的真理の探求』と真剣に向き合った

なのかもしれません。


その"大いなる視点"から観たら、

Bさんに関するこれまでの流れは、

私にとって、

"偶然というものはなく、必然として向き合う

自覚の結果として示された

『私にとって最適化された課題』"

それだったということにようやく気づいたのです。


この"自覚の結果"について、追加したいことがあります。

それは、"一過性のものではない"ということです。


なぜ、このようなことが言えるかというと、

Bさんは当然のことながら、私の心と意識の変化について

ご存知ありません。


だから、Bさんが私と合う時は、その都度、

その日の気分で雰囲気が異なります。

つまり、私に何を言ってくるのか、

全く予想ができないのです。


私はそれに対して、建物内設置の監視カメラで、

Bさんの動向をいち早くキャッチし、

私自身がブレないよう事前に、

数秒間の"意識セットアップ"をすることで、

Bさんがどのようなことを言って来ようと

対処できるようになりました。


それはBさんが、マンションの役員の"長"であり、

私の対応如何によっては、

私を"クビ"や"左遷"することも可能な立場の方なのです。

だから、私も真剣にならざろうえないのです。


そして、この時の私の一連の行動は、

マンション管理員の仕事とカンセリングとの

コンビネーションで成し得ることだと

新たに気づきました。



今回は、以前の記事 ↓ で登場しました、

仕事先で私を困らせてくれる、Bさんの再登場です。

このBさん、この記事を書いてからも、

相変わらずで、さまざまな経験を積んできた私でも、

ハッキリ言って手強い方でした。


やっぱり、私も普通のひとりの人間です。

Bさんの都合で、週2日のペースで私の仕事場に来て話すことが、

当然のようになった、ある日、

さすがの私もついに"ブチ切れました"


"ブチ切れました"原因は、他のマンション居住者の方から

指摘された私の仕事上の不手際を示すものでしたが、

信憑性に欠ける内容だったため、

反論したのがキッカケでした。


とは言っても、Bさんは私にとって

仕事先であるマンション居住者、

つまり、お客様という立場である以上、

あからさまな反論はできないので、

これまでの背景や現状を含めて、

より正確な事実を言っただけでした。


普通なら、それで収まったのですが、

Bさんは、次に私の所属会社の担当者の対応について

矛先を変えて自論を展開しました。


担当者当人がいない状況で、そんなことを言われていも、

パートという仕事の立場上、返答を求められても、

決まっていること以外は何も答えることはできませんでした。


それでも執拗に答えを求めてこられるので、

"Bさんと所属会社の担当者の板挟み"という

自分の立場を守るなどと悠長な状況ではなく、

自分の本音を言わざろうえないところまで行きました。


そして私はついに、"心の底からブチィと切れました。"

以前の私なら、ムキになり対抗意識丸出しで、

けんか腰というか一方的に相手を突き放すような言い方で、

声を荒げ、超ネガティブなエネルギーを

ビンビンに放出しておりました。


まあ、世間でよく言われ、使われている、

"ブチ切れ"でした。


ただし、言い方がおかしいのですが、

今回はその"切れ方"が以前の私とは違っていました。


その前提となっていたのは、

Bさんはなんだかんだ言いながら、

私を頼って来られるのです。


その気持ちをありがたいという想いで受け容れ、

私が心の底から言いたかった

"本音のエネルギー"と合流したら、

目の前のBさんが圧倒される程、

私が一方的に話をしていました。


話が一区切りした時、

私はふと我に返り、思いました。


私が話をしている時、エネルギーが身体の中を

どどっと流れていくのが、明らかに感じられました。


「あれは私でありながら、私でなかった」


そんな不思議な感じでした。


ひとつハッキリと言えることは、

以前のようなネガティブなエネルギーではなく、

ポジティブなエネルギーだったようなのです。


なぜ、そんなことを言えるのかと言いますと、

私の主観的な感覚に過ぎませんが、

話している間、相手のBさん攻撃するのではなく、

私の中から出てくるエネルギーで、

やさしく包み込むような感じがありました。


そのBさんから最後に

「あんたの言いたいこと、よくわかった」

と言われた時、お顔がにこやかで真剣な表情からでした。


今回の経験から、私なりに自分の心の動きを

後から検証してわかったことがあります。


「売り言葉に買い言葉」ということわざかがあります。


この意味を一般的に言えば、

相手の想い、言葉をネガティブに受け留めれば、

次は相手に対して、ネガティブな想い、言葉で

返します。


ところが、相手のネガティブな想い、言葉の奥にある

"本質"を捉えることができたら、

その実体はネガティブではなく、

"ポジティブだけである"ことに気づけます。


それをしっかり受け留めたならば、自然に自分の口からは、

"相手に対して、ポジティブな発言しか

出てこない"、ということになります。


最後に余談になりますが、

この私が書いているブログは、

始まった当初から、一貫して

"本音のエネルギー"

これを意識しながら、書き続けています。





先だってお亡くなりになった、女優の樹木希林さんが

遺された言葉について、記事を書こうと思いながら、

なかなか書けずにおりました。


ところが、毎月頂いている知人の方のお便りに、

彼女の語録を掲載されていたので、素晴らしい内容に感動し、

それに刺激されたようで、私なりに今回まとめてみました。


私は、樹木希林さんについて長年、

"独特のキャラクターを持った女優さん"、

そのくらいのイメージしかありませんでした。


夫である、ロック・ミュージシャンの

内田裕也氏との関係についても、

"不思議な夫婦関係"

というぐらいにしか思っていませんでした。


また最近では、話題の言葉となった、

"全身ガン"が印象として残っていました。


ところが、お亡くなりマスコミを中心に、

これまでの話題となった情報が集中的に出てきたこともあり、

私もなんとなく遺された語録を読みながら、

ついつい引き込まれてしまいました。


これは、主観的な憶測かもしれませんが、

彼女は若い頃から仏典に親しんできたという経緯から、

おそらく、その生き方のベースには、

"お釈迦様への畏敬の念"とともに、

"その教えを実生活や仕事に生かし続けていた"

それが"真実の姿だった"ように感じられました。


遺された数々の語録は、長い間注目を浴びてきた

有名女優ということもあり、

多くの人々の共感、共鳴を起こしたのも事実です。


そこには、"樹木希林さんは自分とは違う

特別な存在の人だった"、という見方や考えも

あるかもしれません。


そして、ほとんどの方は、

感銘を受けた言葉という観点から、

心の中の記憶またはモノによる記録しとて

残るぐらいだと思います。

ここで私の内側から、ある"突っ込み"が出てきました。


「本当にそれでいいの、もったいないと思わないの」


この言葉でした。


"内田裕也氏との夫婦関係"、"全身ガン"など

数々経験、体験されてきた出来事について、

ただ心の中の記憶またはモノによる記録しとて残す程度なら、

まだ"他人事"としてしか捉えていない、

そう思えずにはいられなかったからです。


大事なことは、樹木希林さんの経験、体験を通して語った

言葉の奥にある本質を見極めることではないでしょうか。


遺された語録の本質とは、


「生涯に渡って、目の前の人、事、物に対して、

とことん真摯に、そして愛を込めて自ら向き合った」


そのことによって生み出された言葉は、

"生ききった証"だと思うのです。


ということは、決して彼女が芸能人とか特別な存在の人ではなく、

私達も同じように、"自分事"として置き換えることにより、

受け容れることができるのではないでしょうか。


そして今からでも、自分なりに自分のペースで

「目の前の、人、事、物に対して、誠心誠意向き合い、

丁寧に心を込めて行なう」

それができるように思えるのですが・・・


最後に、私が印象に残った樹木希林さんの語録をいくつか掲載致します。


私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためじゃないでしょうか


私の場合、体に広がる全身がん。でもがんに感謝。経験しなければろくに「死」にも向き合えず、内田(裕也)さんのこともちゃんと理解しようと思わなかった


どの場面にも善と悪があることを受け入れることから、本当の意味で人間がたくましくなっていく。病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないわ


どれだけ人間が生まれて、合わない環境であっても、そこで出会うものがすべて必然なんだと思って、受け取り方を変えていく。


お釈迦さんがね「人間として生まれることはきわめて稀なことだ」と言っているの。だったらね、生き続けなきゃ、もったいないじゃない


「目の前の、人、事、物に対して、誠心誠意向き合い、

丁寧に心を込めて行なう」


このことを日々少しでも実践していくことで、

これらの語録の受け留め方も変化していき、

私達の内面のより深いところで

感じられるようになるかと思います。



前回のブログで、マータ・アムリターナンダマイ(アンマ)が言われた、

"真の下僕"、そして、黎明の著者、故葦原瑞穂氏が書かれた、"僕(しもべ)"

これらは同じ意味のことを表現しているのは言うまでもありません。


ふたりが残したメッセージを顧みて、私なりに、ある言葉が

思い浮かびました。


ただし、そのベースとなっているのは、やはり、


『人のために己を役立てる』


これです。


そして、その言葉とは、ズバリ『しんがり』です。


『しんがり』は、テレビの時代劇、よく戦国時代のシーンで

出てくるセリフ、「しんがりを務める」というのがあります。


自軍の戦局が劣勢になるなど、やむを得ず後退する時、

最後部で敵軍から自軍を守り、

戦況によっては"盾"となり、その後の勝敗を左右する

重要な戦闘部隊で、武芸・人格に優れた武将が

リーダーとして務める"役割"のことを言います。


古くさい言葉と感じられる方、あるいは全然ご存じでない方、

いろいろだと思いますが、個人的には意味深いものを

感じます。


常に自分や部下が生命の危険にさらされ、

場合によっては"生死をさまよう"という、

究極の状況もあり得るわけです。


ちょっと脇道に外れて恐縮ですが、

"生死をさまよう"で思い出したことがあります。


それは、10年程前にガンで亡くなった

父の入院先で、担当医から言われた最後の選択、

"延命治療"についてです。


私の妹と同席で、担当医の説明を聞きました。


担当医から、

「あとは〇〇と△△という治療法がありますが、

 今の状況からして回復する見込みはほとんどありません。」

と話があった時、


「その治療をするのか、しないのかの決断」

迫られたことがありました。


確かその時、父は昏睡状態に入る一歩手前の

寝たきりで、わずかに意識があった状態だった

ように記憶しています。


時間的に猶予はなく、私達は、

「それらの治療法をしない」

という選択をしました。


その後、父がそのことを知った時の

"絶望感の漂った表情"

今でも私の脳裏に焼きついて忘れられません。


私は、何度となく後悔の念が湧きかけましたが、

その度に振り切っていました。


この経験を通してわかったのは、

"人の生死に関わる重い度判断を下したことに対して、

振り向かない"、という

『強い覚悟』が必要と学んだことでした。


私だけではないと思いますが、

何らかのキッカケで振り向いてしまうと、

人間ですから、情が出てしまい、次に決まって

後悔の念が出てきてしまいます。


話を元に戻します。

つまり、この『しんがり』"真の下僕"、"僕(しもべ)"

私の場合、イメージ的に重なるのです。


格好のいい解釈と受け取られるかもしれませんが、

どちらかと言えば『しんがり』の方がしっくりきます。


とは言え、現代社会において、"戦国時代の武将"は

存在しませんので、それを置き換えて言うならば、

"同じようなマインドを持ったリーダー、指導者"

となるでしょう。


私自身、もし"今、それをやれ"、

と誰かに言われたとしても、

無責任なことと思われるかもしれませんが、

実際そのような状況に、自分の身を投じてみないと、

"わからない、判断できない"

というのが、正直な答えです。


しかし、"その時"がいつ来るかわかりませんので、

"心積り"だけでも持っていたい、と思っています。


ちなみに余談となりますが、『しんがり』を漢字で表記すると

『殿』ということが、ウィキペディアには記載されていました。

これもまた興味深いことだと感じ入りました。


見方によっては、ここまで書いたことは、

「すべて"男の世界"のことを言っている」、

と女性の方々から、ご指摘を受けるかもしれません。


あくまでも一例としてあげたまでで、

自分の人生で、重大な判断を下さなければならない状況と

向き合った時は、男女の違いや能力的な優劣、

過去の歴史的な背景と言った、

そのような観念や信念は"無に等しい"と思っています。


一番大事なことは

「"その時"が来たら、自分なら、どうするか」

それだけです。


ところで"その時"とは何のこと?

と思われるかもしれません。

これについては、宇宙的規模の壮大なスケールの話

となりますので、また別の機会に触れたいと思います。


1つだけ前もって言っておきますと、

決して不安を仰いだり、ネガティブな気持ちにさせる

ものではありません。